2015年09月05日

台湾の星・欧陽菲菲、44年前の本日9月5日、「雨の御堂筋」でデビュー。

執筆者:鈴木啓之

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台北のレストラン・シアター「中央酒店」で歌って人気を博していた彼女を見出したのは、坂本九や弘田三枝子をはじめ多くのスター歌手を発掘・育成してきた、東芝の草野浩二ディレクターであった。氏が「二人の銀座」に始まる「北国の青い空」「京都の恋」といった一連のベンチャーズ歌謡を手がけていたことから、欧陽菲菲のデビュー曲もベンチャーズの作による「雨の御堂筋」に決まり、71年9月に日本デビュー。最初に来日した際は観光ビザだったという。


大阪の中心を南北に走る幹線道路が歌われたご当地ソングを、外国人が作っているのが面白い。前年に開催された大阪万博の余波もあったことだろう。作詞は、『サザエさん』の主題歌などでも知られる林春生。疾走感溢れるメロディとダイナミックな歌唱で翌年にかけて約80万枚を売る大ヒットとなり、日本レコード大賞新人賞の栄誉に浴した。名ディレクターの目利きがここでも証明されたことになる。72年には外国人ソロ歌手として初のNHK紅白歌合戦出場を果たしている。


「雨の御堂筋」のB面「愛のともしび」は、橋本淳=筒美京平の作詞・作曲によるものだったが、2枚目の「雨のエアポート」からしばらくはシングルのAB面共に一貫してこのゴールデン・コンビに作品が委ねられた。「京都の恋」をヒットさせた渚ゆう子が、やはりベンチャーズによる「京都慕情」と続いた後、林春生=筒美京平コンビの「さいはて慕情」へと移行した様に、欧陽菲菲の場合も惜しげなく筒美作品に切り替えた草野の采配は鮮やかであり、作家とディレクターの信頼の証しでもあった。橋本=筒美のゴールデン・コンビもその期待に応えて、次々と傑作を送り続けるのである。

 

イントロからの導入部やサビなど、「雨の御堂筋」の雰囲気を巧みに踏襲しつつ、魅力ある新たな楽曲に仕上げる手腕はさすが。デビュー曲が長らく人気を保っていたことから、発売時には2曲同時にチャートの10位以内にランキングされた。なお、本国では、「雨の御堂筋」は「雨中徘徊」、「雨のエアポート」は「雨中旅程」と表記される由。そして、3枚目でさらなる傑作が生まれる。

 


疾走感に満ちたグルーヴ歌謡「恋の追跡(ラブチェイス)」は、その少し前から日本でも大ヒットしていたアメリカのロック・バンド“チェイス”による「黒い炎」の影響が明らかながらも、見事なオリジナルの歌謡曲へと昇華されており、あえて彼らのグループ名が冠された確信犯的なタイトルに、作家としての自信が窺える。効果的なブラス・サウンドに乗せて歌われる、カタコトの日本語がとにかくカッコいい。彼女のベストワンに挙げる方も多いのではないだろうか。次の「夜汽車」からは徐々にスケール感が醸し出され、表現力も格段に増してゆく。再び「雨の御堂筋」がブラッシュアップされた「雨のヨコハマ」を経て、6枚目となる「恋の十字路」はひとつの到達点といえそう。この辺りを境に、少しずつセールスが下降していくのも事実ながら、「恋の十字路」は後になってさらに評価を高めることも含めて、重要な曲といえそうだ。後の代表作「ラヴ・イズ・オーヴァー」の片鱗も見られる。

 

ちなみに「ラヴ・イズ・オーヴァー」が大ヒットに至るのは83年から84年にかけての事だが、最初のレコードは東芝からポリドールへ移籍した後の79年、「うわさのディスコクイーン」のB面収録曲だった。それが翌80年にA面曲として再発売され、有線などで時間をかけて支持され続けた結果、82年にアレンジを一新して出された新録盤が83年から84年にかけて遂に大きなヒットとなる。ヒットしてからジャケットが変更されたため、欧陽菲菲の「ラヴ・イズ・オーヴァー」は4種類ものシングル・レコードが存在することになる。さらに、黛ジュン、内藤やす子、やしきたかじん、生沢佑一ら多くの歌手にカヴァーされてスタンダード・ナンバーとして定着してゆく。最近では、倖田來未や青山テルマも。桑田佳祐が2008年に行ったライヴ『昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦』で披露した歌唱も見事で、楽曲の素晴らしさが改めて実証された。欧陽菲菲は、ジュディ・オング、テレサ・テンと共に、日本人が最もよく知る台湾出身のスターである。


欧陽菲菲

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