2015年11月19日
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2015年11月19日
みうらじゅんが勝手によしだたくろうを語る不定期連載「ぼくの髪が肩まで伸びて よしだたくろう!」、今回からは新しいアルバム『伽草子』に入ります。まずはアルバム解説の前にみうらじゅん、そしてよしだたくろうを取り巻く当時の状況から。
4枚目のオリジナル・アルバム『伽草子』。1973年6月1日にリリースされたこのアルバムは前作に引き続きオリコンチャート1位を獲得した充実の名盤。
夏といえば「気ままな旅」実行の季節だった時代。僕はその頃からユースホステル巡りの「旅」を始めました。拓郎さんの歌イコール「旅」そのものだったからです。気ままで少し無責任で放浪癖もあって、それがそのころの僕の考える「旅」でした。当時国鉄(現在のJRです)の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンが人気で、アンノン族の女子も、フォークロアなカッコして旅をしました。そもそもコンサートを全国行脚とライブを重ねたツアーにしたのも、拓郎さんではなかったかと思います。
それで急に思い出して部屋を探したらありました! 1枚はスバルREXとタイアップした「僕らの旅」の非売品のソノシート、もう1枚は富士フィルムとタイアップした「Have A Nice Day」の、これも非売品ソノシート。この拓郎さんの旅タイアップ楽曲2曲からは、強烈に旅=拓郎さんというイメージが広がりました。CMのタイアップの先駆者でもあったわけですね、拓郎さんは。今や貴重盤となっているこの2枚は上京した頃、中古レコード屋で購入したもの。
♪ハブアナイスデイ、ウォゥ、ウォゥ、ウォゥ、ウォゥ、フジカラ~!♪はギター弾いて大声で歌ったもの。コマーシャル・ソングという意識なくね。スバルの方は途中の「♪共鳴レッ~クス!」という女性コーラスの部分が明らかに後からインサートしたって分かるんですけど、当時はそれさえかっこよかったなぁ。これらはたぶん『元気です。』の頃にレコーディングされたものじゃないですかね、明らかにサウンドが。もしかしたらアルバムに入りきらなかった曲をCM曲として使ったのかもしれませんね。
拓郎さんの4枚目のアルバム『伽草子』ですが、このアルバムが発売された1973年6月1日の当日、拓郎さんはあの「金沢事件」の一件で拘留中だったそうで、発売日の翌日、釈放になったんだって? この事件は女子大生の狂言だったというものですが、僕は高1で、そんなこと全く無頓着でした。童貞だったからピンときていなかったのかもしれません。「あーそれも青春」くらいに思っていました(笑)。
ただ、この事件で親までが“よしだたくろう”という存在を初めて知るようになった。そして僕が今まで自分の部屋で大きな音で鳴らしていたのが“よしだたくろう”の曲であると親は理解したわけです。
いろいろなことが重なったんですね、この頃。「結婚しようよ」って曲が売れて、実際に結婚され、その反動で帰れコールがあったり、こんな事件があったり、一人でマスコミを動かされてたってことですよね。それまでフォークシンガーがここまでマスコミを動かしたりするなんて拓郎さん以前はなかったことだと思います。
この『伽草子』は本当によく聴きましたねえ。「蒼い夏」とか、高校1年の夏にジャストフィットしたんですね。自分の人生と季節と拓郎さんと全部フィックスしたのがこのアルバム。今まで頭にかかってた靄が取れだしたんですね、この高校1年生の夏頃に。いろんなことがスキッと見えてきたんです、この『伽草子』を聴いてから。
その前年1972年の夏に『元気です。』でしょ。この2枚を本当、毎日のように聴いていました。これほどレコードを真剣に聴くなんてなかったですから。学校から帰るととりあえずレコードに針を落とし、夕飯までずっとね。それだけで一日が過ぎていく。気持ちがずっと「春だったね」ですから、嬉しくて(笑)。
いやぁ、この2枚のアルバムが出た時代に青春時代を送れたことに感謝ですね。この年1973年、映画では『ポセイドン・アドベンチャー』『ゲッタウエイ』『ジョニーは戦場へ行った』『ジャッカルの日』『007 死ぬのは奴らだ』そして『燃えよドラゴン』が封切られていますが、1973年は僕にとっても全若者にとっても一番重要な年でね、全て今の僕を形成する要素が詰ってました。
ビートルズは既に解散していましたけど、それぞれのソロがちょうど出てくるのもこの時期。ジョン・レノンの『イマジン』は完全にこの『伽草子』とリンクしている。
何十億年周期で起こる惑星直列みたいなことがあったんじゃないでしょうか、この時にね。村上龍さんに『69』という小説がありますが、僕らにとってはさしずめ『72』が、全てですね。
(この項つづく)
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