2017年07月21日
スポンサーリンク
2017年07月21日
この6月7日、とても素敵なCDがリリースされた。タイトルは『今日までそして明日からも、吉田拓郎 tribute to TAKURO YOSHIDA』。多彩なミュージシャンがつどって、吉田拓郎の名曲の数々をうたったCDだ。
参加メンバーがすごい。驚くぞ。ちょっと挙げても井上陽水、THE ALFEE、德永英明、ポルノグラフィティ、鬼束ちひろ、一青窈、それになんと寺岡呼人feat.竹原ピストル。この企画にこの人なら納得、というミュージシャンもいれば、エッ!?と意表をつかれるミュージシャンまで、実に多彩。ほかにもどんなミュージシャンがつどったか、そして彼ら彼女らは吉田拓郎のどの歌をどんなふうにうたっているのか、ぜひご自分の目と耳で確かめてほしい。
そしてそんなCDのトップを飾っているのは誰か。音楽好きにこんなクイズを出したら、これはかなりの正解率になるだろう。そう、奥田民生。うたうは「今日までそして明日から」。
「今日までそして明日から」は吉田拓郎(当時は、よしだたくろう)の3枚目のシングルである(初出は70年11月発売のデビュー・アルバム『青春の詩』)。発売日は1971年7月21日。つまり、吉田拓郎のキャリアで重要なポイントとなった、ユイ音楽工房の設立(71年10月)、パックインミュージックへの登場(71年10月)、エレックレコードからCBSソニーへの移籍(72年1月)、あるいは、第3回全日本フォークジャンボリーの“「人間なんて」事件”(71年8月)の、まさに“前夜”に、この歌はリリースされた。彼のなかで、あるいはファン達の心の中で、マグマが臨海に達していた時期だ。だからこそ、とりあえずシングル・リリースの権利を獲得したCBSソニーは、あまりシングル向きとも思えないこの曲をリリースしたのだろう。前月にリリースされたライヴ盤『ともだち』の好評も背景にあったはずだ。
そんな“大人の思惑”は残念ながら実ることはなかったが、“爆発”は次のシングルで起こる。それも強烈な爆発だった。すべての歯車が絡み合い、超高速で回転し始めた。「結婚しようよ」である。
ぼくにとってこの歌は、初めてアルバム『青春の詩』で聴いた18歳のころから、正直に言ってそれほど思い入れの深い歌ではなかった。その後ライヴで様々なアレンジをほどこされたバージョンを聴いても。
この曲のような思索的、あるいは哲学的と言ってもいい歌は、初期の歌では例えば「イメージの詩」や、究極の歌「人間なんて」が挙げられるが、この歌には「イメージの詩」のようなたたみかけてくるイメージの奔流はないし、「人間なんて」のような祝祭性、呪術性もない。「なんだか、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』みたいな歌だなあ」と、思ったのをよく覚えている。
それが……それが変わったのはいつごろからだったか。そしてそれは、なぜなのか、定かではない。しいて言えば、「歳を重ねた」ということなのだろう。少し悲しいけれど。
1972年に発行された『新譜ジャーナル別冊 よしだたくろうの世界』に掲載された「今日までそして明日から」の楽譜に、こんなメモが付されている。
拓郎:LP用に(青春の詩)つくった曲なんだけど、最近わりと気にいっている。
浅沼:50才すぎたオジサンが楽屋に来たね、この唄を聴きに……。
拓郎:あれはオドロイタのです。感激したのであります。
(原文ママ・浅沼氏は当時の吉田拓郎のプロデューサー)
歳をとったら、静かに、おだやかに、何にもわずらわされることなく、ゆったりと過ごしていけるものだと思っていた。けれど、どうやらそんなものではないらしい。いまだにぼくは、いつも何かにいらだち、おびえ、相変わらずヒリヒリとしながら、日々をおくっている。そしてそんなぼくの心に、この歌はいま、静かに、水のようにしみ入ってくる。
「今日までそして明日から」は、まぎれもなく吉田拓郎の“原点”の1曲である。
「青春の詩」「よしだたくろう・オン・ステージ!!ともだち」 ©エレックレコード
「今日までそして明日から」写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
≪著者略歴≫
大越正実(おおこし・まさみ):1953年、東京生まれ。ながく出版社に在籍し、多数の書籍・雑誌を手がける。元『シンプジャーナル』編集長、現『種牡馬事典』編集長。
本日、7月2日はよしだたくろう(当時の表記)のアルバム『伽草子』がオリコンで1位になった日だ。これは大きな出来事であったと言っていいだろう。なぜなのかは、その少し前の経緯から説明しなくてはならな...
ぼくが吉田拓郎を初めて取材したのは、1970年のことだったと思う。場所は旧文京公会堂。その楽屋で、音楽雑誌『Guts(ガッツ)』の編集者だった渡辺浩成に拓郎を紹介してもらったのだ……本日1月21...
本日、8月7日は、「第3回全日本フォークジャンボリー」が47年前に開催された日である。“サブ・ステージで「人間なんて」を歌っていた吉田拓郎が観客をあおってメイン・ステージへなだれ込ませた”という...
1971年、高校3年生だったぼくは親には「予備校に行く」とウソをつき、予備校代でコンサートへ通っていた。ひでえガキだった。当時のコンサートは多数のミュージシャンが出演するオムニバス形式のものがほ...
小学5年生の時に、初めて自分でレコードを買った。買い物ついでに地元のレコード屋に行き、なぜ「それ」にしたのかも、なぜ買おうと思ったのかも忘れてしまったけれど、手にしたのは、よしだたくろうの「結婚...
ぼくが初めて岡本おさみさんの歌のことばに接したのは、1971年の8月、渋谷の小劇場ジァンジァンでの吉田拓郎の3日連続ライヴだった。「岡本おさみという人が変な歌をつくりまして……」そう言ってうたわ...
4月5日、吉田拓郎が古希を迎えた。感慨深いものがある。なぜなら、拓郎は私にとって人生の“伴走者”であり、“道標”であるからだ。 text by 富澤一誠
みうらじゅんが勝手によしだたくろうを語る連載「ぼくの髪が肩まで伸びて よしだたくろう!」。今回からは6枚目のオリジナル・アルバム『明日に向かって走れ』に入る。みうらじゅんは高校を卒業し、京都から...
みうらじゅんが勝手によしだたくろうを語る連載「僕の髪が肩まで伸びて たくろう!」。またまた前回に続き5枚目のオリジナル・アルバム『今はまだ人生を語らず』。今回はB面を勝手に全曲解説します。様々な...
みうらじゅんが勝手によしだたくろうを語る連載「ぼくの髪が肩まで伸びて たくろう!」。前回に続き5枚目のオリジナル・アルバム『今はまだ人生を語らず』。今回はA面を勝手に全曲解説します。時代はミュー...
今回から5枚目のオリジナル・アルバム『今は人生を語らず』に入ります。1974年12月10日リリース。僕らと同化してくれていたと思っていた拓郎さんの、今考えるに最後と言ってもいい、貴重な思い出アルバム。
みうらじゅんが勝手によしだたくろうを語る連載「ぼくの髪が肩まで伸びて たくろう!」。前回に引き続き4枚目のオリジナル・アルバム『伽草子』のB面、勝手に全曲解説も後半となります。
みうらじゅんが勝手によしだたくろうを語る不定期連載「ぼくの髪が肩まで伸びて よしだたくろう!」 前回に引き続き4枚目のオリジナル・アルバム『伽草子』。いよいよ今回から全曲解説です。高1の夏に聴い...
みうらじゅんが勝手によしだたくろうを語る不定期連載「ぼくの髪が肩まで伸びて よしだたくろう!」、今回からは新しいアルバム『伽草子』に入ります。1973年6月1日にリリースされ、オリコンチャート1...
みうらじゅんが勝手によしだたくろうを語る不定期連載「ぼくの髪が肩まで伸びて よしだたくろう!」、アルバム『元気です。』の曲目解説B面の「また会おう」から。後半の重要なパートを当時のみうらじゅん少...
みうらじゅんが勝手によしだたくろうを語る不定期連載「ぼくの髪が肩まで伸びて よしだたくろう!」、アルバム『元気です。』の曲目解説もいよいよB面に入ります。みうらさんがこの曲を聴き、上京したら最初...
みうらじゅんが勝手によしだたくろうを語る不定期連載「ぼくの髪が肩まで伸びて よしだたくろう!」、今回はアルバム『元気です。』のA面をみうらじゅんが勝手に全曲解説いたします。
みうらじゅんが勝手によしだたくろうを語る連載「ぼくの髪が肩まで伸びて たくろう!」。いよいよ、3枚目のアルバム『元気です。』。1972年9月21日にリリースされ、圧倒的売り上げを誇りました。今回...
前回に引き続き、みうらじゅんが語るよしだたくろうのアルバム『人間なんて』。 いよいよブレイクしてきたよしだたくろうの、このアルバムに込められたすべてをみうらじゅんが勝手に全曲解説します。
みうらじゅんが敬愛してやまないよしだたくろうを語る連載。たくろうが当時住んでいて、『人間なんて』のジャケットにも使われた高円寺のマンション。後年、みうらじゅんが訪れて発見したものとは・・・。
『よしだたくろう・オン・ステージ!! ともだち』1971年6月10日エレックレコードより発売。しだいに名前の出てきたよしだたくろうのセカンド・アルバム。オリコン最高40位。
1970年11月1日 吉田拓郎(当時はよしだたくろう)のファースト・アルバム『青春の詩』がエレックレコードよりリリースされた。全作詞・作曲はよしだたくろう。当時のオリコン最高位は64位。 みうら...
1970年、45年前の今日5月20日、吉田拓郎(当時はよしだたくろう)のデビューシングル「イメージの詩」がエレックレコードよりリリースされた。(B面はマークⅡ) 広島フォーク村名義のアルバム『古...