2019年02月19日

B面曲がA面曲を凌駕する大ヒットに。ガロの「学生街の喫茶店」も、そんな“下克上ヒット”の典型例だった

執筆者:中村俊夫

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最近のアナログ・レコードのリバイバル現象もあって、デジタル世代の若い音楽ユーザーでもストリーミングや配信一辺倒組を除けば、アナログ・レコードには「A面」と「B面」と呼ばれる表裏の区別があるということを知らない人は、以前と比較すれば少なくなってきたのではないだろうか?


音楽再生メディアがアナログ盤しかない時代、「A面」「B面」の存在は単なる便宜的な区分以上に、アルバムでは収録曲の色分けや、作品のテーマ・世界観の切り替えに効果的で、CDやストリーミングには無い醍醐味のひとつでもあった。


シングル盤では、文字通りA面に配された楽曲はヒットを狙った最重要プッシュ曲であり、B面はオマケみたいなものなのだが、時としてこの“A面>B面”の序列が崩れ、B面曲がA面曲を凌駕する大ヒットとなる逆転現象が起きることもある。筆者はこれを「下剋上ヒット」と呼んでいる。


我が国のポピュラー音楽史をふり返ってみると、昭和初期の78回転SP盤の時代から下剋上ヒットが生まれていることがわかる。古賀メロディーの代表作としてお馴染み「影を慕いて」は、佐藤千夜子が1931(昭和6)年にリリースした「日本橋から」のB面曲だったし、終戦直後1946(昭和21)年の国民的大ヒット「リンゴの唄」(霧島昇、並木路子)だって、元々は「そよかぜ」のB面に収録されていた。今となっては、各々のA面のメロディはおろか、曲名すら聞いたこともない人がほとんどだろう。


17センチ・シングル(ドーナッツ盤)が音楽メディアの主流となった1960年代に入ると、レコード生産量の増加に比例して下剋上ヒットも増えていく。仲宗根美樹「川は流れる」(60年)、西田佐知子「エリカの花散るとき」(63年)、ペギー葉山「学生時代」(64年)、黒沢明とロス・プリモス「ラブユー東京」(66年)、千昌夫「星影のワルツ」(66年)、青江三奈「伊勢佐木町ブルース」(68年)、スウィング・ウエスト「雨のバラード」(68年)、ヒデとロザンナ「愛の奇跡」(68年)、ズー・ニー・ヴー「白いサンゴ礁」(69年)、ダウンタウン・ブギウギ・バンド「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(75年)、ちあきなおみ「矢切の渡し」(78年)、小林幸子「おもいで酒」(79年)、欧陽菲菲「ラヴ・イズ・オーヴァー」(79年)、西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」(81年)…錚々たる昭和歌謡の名曲ばかりだが、全て出自はB面曲だったのである。



今から47年前の今日1972年2月19日にオリコン・チャート第1位に輝いたガロの「学生街の喫茶店」も、そんな下剋上ヒットの典型的作品で、最初は72年6月10日にリリースされたガロの3枚目のシングル「美しすぎて」のB面曲として世に出た。


デビュー以来2枚のシングルとアルバム1作を全曲メンバーのオリジナル曲で通してきたガロにとって、初の外部作家を起用したレコードであり、両曲共に作詞は山上路夫。作曲は、A面の「美しすぎて」がガロの原盤制作を行なっていたアルファ・アンド・アソシエイツの社長でもあった村井邦彦。「学生街の喫茶店」はヒットメーカーすぎやまこういちだった。


自作曲オンリーから外部作家起用へという路線変更に関して、メンバーたちの抵抗は無かったようで、村井邦彦らしい洗練された作風のソフト・ロック作品「美しすぎて」のレコーディング(リード・ヴォーカルはマークこと堀内護)は順調に終えたが、問題は「学生街の喫茶店」だった。プロデューサーのミッキー・カーチスからリード・ヴォーカルに指名された日高富明(トミー)は、それまでのガロ作品には無いテイストのこの曲に違和感を覚え、レコーディングを頑なに拒否したのである。


結局、残る大野真澄(ボーカル)が歌うことで決着し、無事リリースに至ったわけだが、意外にも東京音楽祭エントリー曲だった「美しすぎて」は伸び悩み、発売2~3ヶ月後ぐらいから「学生街の喫茶店」が北海道や九州の有線リクエストで上位に上がるという逆転現象が起きた。


追い打ちをかけるように、TBSラジオ『ヤングタウンTOKYO』の今月の歌に「学生街の喫茶店」が決まったことで、発売元の日本コロムビアはAB面を入れ替えることを決断。72年11月から「学生街の喫茶店」の文字が大きく目立つジャケットに修正された変更盤が市場に出廻るようになった。

さらに翌年に入ってからテレビ露出が増えたことも手伝って、ついにオリコン・チャート7週連続1位にランキング。80万枚近いセールスを記録して、73年度日本有線放送大賞新人賞を獲得した他、この年のNHK『紅白歌合戦』に初出場を果たした。


それまで“和製CSN&Y”として洋楽ロック・ファンからも高く評価されながらビッグ・ヒットには恵まれなかった彼らが、一気に大ブレイクを果たしたわけだが、人気グループとなるのと引き換えに失ったものも大きかったようだ。


彼らのファン層はローティーンの少女たちが中心となり、ガロを新種のアイドル・グループのように扱う芸能メディアも少なくなかった。さらにグループ内部にもトラブルの火種が燻っていたのだが、そのあたりに関しては2015年8月25日付『大人のミュージックカレンダー』のコラムを、ぜひ御併読いただきたい。

ズー・ニー・ヴー「白いサンゴ礁」ヒデとロザンナ「愛の奇跡」ガロ「学生街の喫茶店」ジャケット撮影協力:中村俊夫&鈴木啓之


≪著者略歴≫
中村俊夫(なかむら・としお):1954年東京都生まれ。音楽企画制作者/音楽著述家。駒澤大学経営学部卒。音楽雑誌編集者、レコード・ディレクターを経て、90年代からGS、日本ロック、昭和歌謡等のCD復刻制作監修を多数手がける。共著に『みんなGSが好きだった』(主婦と生活社)、『ミカのチャンス・ミーティング』(宝島社)、『日本ロック大系』(白夜書房)、『歌謡曲だよ、人生は』(シンコー・ミュージック)など。最新著は『エッジィな男 ムッシュかまやつ』(リットーミュージック)。
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